社団法人 日本建築積算協会 関東支部
 The Building Surveyor’s Institute of Japan from KANTO Branch
BSIJマガジン~Kanto~【第1号】
『たぶん役に立たない』数字の話  ~若手会参加希望のHarry.H~
 ベクレル、シーベルト、マイクロシーベルト・・・。1年前にはごく限られた専門家しか知らなかった単位。
悲しいかな、日本人は「この単位」とこの先何十年、何百年と、密に向き合いながら生きていかざるを得ない事になってしまいました。

 皆さん既に御存じの通り、「ベクレル(Bq)」は放射能量の単位、「シーベルト(Sv)」は放射線による人体への影響度合いを表す単位です。ちなみに「マイクロシーベルト」の「マイクロ」とは10-6、つまり「100万分の1」です。

「ミリ」が10-3、「マイクロ」が10-6、その下が「ナノ」で10-9、更にその下が「ピコ」で10-12・・・。
まだまだありますが、耳にするのはせいぜいこんな所まででしょうか。

それでもSI単位は「カンマ」で区切られる3桁ごとに名称が変わるので、比較的に頭に入り易いですよね。
小数点以下はカンマがつかないので、一目で判別しにくいのですが、整数であればコストエンジニアの皆さんなら、この「カンマ」を目印に、10億~100億くらいまでは、一瞬で読み取れますよね。(建築を始めたころは、1万あたりから、1段づつ10万、100万・・・と桁を数えたものですが・・・)

 さて、皆さんはもちろん、億の上は兆、兆の上は京、あたりまでは御存じの事でしょう。ただその上の「垓(がい)」になると、呼び名は知ってても漢字まで知っている人はぐんと減るのではないでしょうか。このあたりが、現代の日本人が一生に何度か関知する数字の最大値、という事でしょうか。

ちなみに、3桁ごと「カンマ」と共に名称が変わるSI単位と違い、漢字の単位接頭語は4桁ごとに変わるので、このレベルになったら、もう、一桁づつ、声を上げながら10京、100京・・・と、やるしかありません。まあ、そんなこと自体滅多にありませんが。

ところが、先日、あるクライアントから受領したエクセルの非表示セルを開いたところ、独自の単価コードが仕込んでありまして、それは私が初めて見た、数字の行列でした。

皆さんは日本の単位接頭語で、最大といわれる、「無量大数」は御存じですね。その数字の行列はまさしくその「1無量大数」。
正確にはコードナンバーは数値では無いのかもしれませんが、他で目にした事がありませんので新鮮な驚きを感じました。
ではこれを数値として一度、ビジュアルに体験いただきましょう。

 100,020,003,000,400,050,006,000,700,080,009,000,100,020,003,000,400,050,006,000,700,080,009

SI単位の接頭辞ではもうこの数値を頭から読み上げる呼び名はありません。右から1/3程の「3」の桁からカンマごとにY(ヨタ)、Z(ゼタ)、E(エクサ)、P(ペタ)、T(テラ)、G(ギガ)、M(メガ)、k(キロ)、ときて最後の0三つとなります。

この数値を日本語でどう読むのでしょう?3桁毎のカンマだと解りにくいので、仮に漢字の単位接頭語が変わる4桁ごとに「。」をつけてみましょう。

 1。0002。0003。0004。0005。0006。0007。0008。0009。0001。0002。0003。0004。0005。0006。0007。0008。0009

読み上げると、
「1無量大数(むりょうたいすう)2不可思議(ふかしぎ)3那由他(なゆた)4阿僧祇(あそうぎ)5恒河沙(ごうがしゃ)6極(ごく)7載(さい)8正(せい)9澗(かん)1溝(こう)2穰(じょう)3秭(し)4垓(がい)5京(けい)6兆7億8万9」。と読む事になります。疲れますが、ここまで来ると、単に1068の一言で済ませるのももったいない。

数字が並んでいるだけの事ですが、昔の人は何のためにこんな遠大な数字に名前をつけたのでしょう?
では、それぞれの呼称に踏み込んでみましょう。

【無量大数】
漢字文化圏において名前がついている最大のもので、もともとは仏教用語。日本では、寛永8年に「無量大数」として登場。寛永11年版に万進法に統一され、無量大数は不可思議(1064)の万倍の1068となったが依然1088とする解釈もある。膨大極まりない数が「無量」とは、「色即是空」に通じる概念?

【不可思議】
語源は名のとおり、思ったり、議論したりすることが不可なほど大きい数字、ということから名づけられた。不可思議がいくつを示すかは時代や地域により異なり、また、現在でも人により解釈が分かれる。

【那由他】
元は仏教用語で、梵語の"nayuta"を音訳した、「極めて大きな数量」(新村出編 『広辞苑』第三版)の意味である。法華経にも、仏の寿命等を表す膨大なの時間の単位に用いられている。

【阿僧祇】
元は仏教用語で、梵語を音訳した「数えることができない」の意味。仏典では、成仏するまでに必要な時間の膨大な単位等に用いられている。

【恒河沙】
元は仏教用語で、「恒河」はガンジス川を意味する梵語 を音訳したもの。つまり、「恒河沙」とはガンジス川にある無数の砂の意味であり、もともと無限の数量の例えとして仏典で用いられていた。
日本でも、平安時代には既に中国から非常に大きな数を表す概念として「恒河沙」という語が伝えられていたようであり、『今昔物語』に、数え切れないくらい多くの国の例えの用例が見られる。

SI単位が表わそうとする数値、数量というより、もっと哲学的、宇宙的な、時間軸や空間を表現するための「イメージ」として定義され、東洋思想の中で膨らんでいったのでしょうか。
いずれにせよ、「京」以上の数については指数表記が用いられるのが普通であって実用では、まず用いられないので、「極」以降の値がどうなっていても問題に成り得ないのでしょうけど・・・。